振武館練習ノート(2019.6.27)|練習することは柔道に真摯に向かい合うこと
6月27日(木)稽古内容
指導者 久木田
生徒
- 陽翔
- 大史
- 圭吾
- 敦彦(トレーニング)
準備運動
稽古予備運動
寝技 3分×7本
三人打ち込み 5本×3セット
乱取 2分×4本
ボールキャッチトレーニング
(ボールを左右に転がしてキャッチする)
腹筋
練習することは柔道に真摯に向かい合うこと
先日の学年体重別の県大会に於いて、振武館からは1人3位入賞者がありました。しかし、実力的には互角と思われる優勝者のライバル(Kくん)にここ1年なかなか勝つことができず、忸怩たる思いを抱いておりました。
優勝する生徒とそれ以外の生徒とどのような違いがあるのか、そういう視点でも試合を観戦しておりました。
Kくんは第1シードで2回戦からの出場でした。しかし、相手は5年生出場者トップクラスの体格を誇るKくんよりもさらに一回り大きく、しかもこの一年間の試合で出場経験のない選手でした。Kくんは開始早々に技ありをとられてしまい、後半まで押されっぱなしでした。
残り20秒で「待て」がかかり正直僕は、Kくんが久し振りに負けるんだなと思ってしまいました。「始め!」試合が再開され、組み合った瞬間Kくんが相手の懐に入りこみ一本背負いで担ぎ上げ、相手は畳の上でした。「一本」残り時間僅か15秒の大逆転劇勝利を収めました。
周りが歓喜に包まれているにも関わらず、Kくんは顔色ひとつ変えず、対戦相手に敬意を込めて終わりの礼を行い、下がって試合場を出た後主審の方を向き一礼をして戻りました。
うちの生徒(H)は2回戦、3回戦と順当に勝ち上がって準決勝で左手組手の苦手としている選手との対戦になりました。実力的にはHの方が上だったのですが、対戦相手は玉砕覚悟で声を出し技をかけまくり(掛け逃げのようにみえなくはない)結果、判定で負けてしまいました。
Hは悔しさをにじませながら、礼をしてそそくさと試合場を後にしました。
結果、Kくんが5年生重量級で優勝となりました。他学年の決勝戦も全て観戦してた感想として、
優勝者の所作がとても美しい
という共通点があることに気がつきました。
相手に対しての敬意を込めることはもちろんとこと、審判を務めた先生、観戦に来てくれた父兄に対しても感謝の念が所作のひとつひとつに現れているのではないかと感じました。
そしてそれらの行動や姿勢は、どこから来るものかと考えた時、普段の練習で柔道に真摯に向かい合うことから得られたものなのではないかと考えたのです。
勝利至上主義では絶対に得られないこと
ぼくは今まで、勝負事や何かを成すということは、どの誰よりも勝負に対して貪欲である方が、また思いが強い方が「勝者」として選ばれると考えてきました。
しかし、それだけでは説明できない何かがあるのではないかと感じていたの事実としてありました。
それは実体験として、高校の1年と3年の時にインターハイ団体で優勝した先輩や同級生を間近でみていた感覚で、確かに勝利に対して貪欲ではあったけれども、何かもっとおおらかで心地の良い空気感のようなものがあったことを思い出しています。
練習に関しては30分前には道場に来て、「ガット」と呼んでいた包帯を足首や手首に巻いたり、痛めそうなところにテーピングを施したり、入念に準備をして練習に臨んでいました。
体操一つ、打ち込みも一本一本を確かめるように丁寧に行っていました。練習中も指の使い方から体の動かし方、目線の方向など細部に渡って修正や確認、繰り返し反復練習を行っていました。
監督、先生に指示されることは少なく生徒自らが考えて実践していました。
練習に柔道に真摯に向き合っている姿がそこにあったことを、今思い出しました。
- 一つの物事にたいして、どれだけ丁寧に取り組むことができるか。
- 一つの物事にたいして、あらゆる可能性があるかを考え抜くことができるか。
- 一つの物事にたいして、どれだけ考えて続けることができるか。
これが勝利につながり、何かを成すこととなっていくのではないかと考えるに至りました。
ぼくが目指すもの
ぼくは今のチームを一年後には、日本一のチームにしたいと思っています。
そのために、生徒が自ら考えて自ら行動することが大切であることを稽古毎に伝えています。
自分の意思によってどのように身体が動き、何の目的で今の練習が行われているのかを考えて意味づけできるよう声を掛けています。
そしてなにより柔道を好きになれるよう心を砕いている道中であります!
おわり
ようぼくの定義|ナゼおかきさげは大切なのか|オンライン第2回教理勉強会
こんにちは、くっきーです。
過日、コムヨシサロンにてヒサマツ氏@damedameyohbokによる第2回目の勉強会が開催されました。
残念ながら自教会の月次祭準備のため参加できませんでしたが、記録に残して下さっていたので、何回も見まくってテープ起こしのようなかたちで自分の勉強のために記録しました。
レッツ、アウトプット!
前回のポイント(2つ)
おかきさげの概要
- ようぼくの心構えというおさしづがあるから
- おかきさげ以外のことは話さなくて良い(おかきさげより他のこといらん)
以上のことから、おかきさげは大切であると言える。
今回はその続きになるがその前に…
前回ヒサマツ氏がものすごく衝撃を受けたこと
「ようぼく」という言葉の定義がヒサマツ氏が考えるものと、広く天理教信者一般に使われるものとのズレ
○信者一般のようぼくのイメージ
ようぼく=おさづけをする人
とすると(ようぼく=おさづけをする人)にとっておかきさげは大事だよとなってしまいかねない。
※おさづけは大切で大事なは当たり前なのが大前提なことなのだけれど。
現在、おさづけ自体に疑問を持っている方にとって、おかきさげも疑問に思われかねないので、一旦ここでようぼくの定義を改めて行う。
まずは、ようぼくの定義をそろえる。
ようぼくという用語がそのまま教語として多く用いられるようになったのは、教理の「復元」に応じて原典が公刊され、昭和24年(1949)に天理教教典が公布されてからである。
天理教事典
さらに、
昭和34年の教規改正のとき、それまでの信者の3段階を示す「信徒・教徒・教師」の呼称が「信者・ようぼく・教人」の3段階に改められて、ようぼくは天理教信者の信仰経歴を表す呼称ともなった。
17歳以上の信者で、教会本部において9度の別席を運び「さづけ(さずけ)の理」を拝戴するようぼくとなる。この用法ではようぼくは「さづけの理の拝戴者」を意味する。
天理教事典
つまり、
ようぼく=おさづけをする人
⬇︎
昭和34年以降から広まっていった。
では昭和24年、34年以前はどうだったのか?
ようぼくという言葉はもちろんあったが、違う意味で使われていた。
おふでさきでの用法
一寸はなし神の心のせきこみハ
よふぼくよせるもよふばかりで 3:128
よふぼくも一寸の事でハないほどに
をふくよふきがほしい事から 3:130
おふでさき
親神によって量的に期待されている。
人数がたくさん欲しい。
にちにちによふぼくにてはていりする
どこがあしきとさらにをもうな
をなじきもたんたんていりするもあり
そのままこかすきいもあるなり 3:131,132
いかなきもをふくよせてハあるけれど
いがみかかみハこれわかなハん 3:50
おふでさき
質的に求められている。
歪んでいる、屈んでいるものは適わん。使いづらい。質が大事である。
よふぼく=信者のなかでも陽気ぐらし世界建設を建物の建築に例えて、布教伝道にあたる者をそのために使用される用材として見立てた言い方である。
天理教の布教伝道の場における人材にする。
信者の中でも、世界だすけによりコミットが深く質が問われる信者
※コミット(責任の伴う約束や目標や目的に対して積極的に関わる、責任を持って引き受けるという意思表示。)
要約
昭和24、34年以降
よふぼく=おさづけをする人
昭和24、34年以前
よふぼく=質が問われる信者
☝︎ヒサマツ氏の考えるようぼく
ようぼくの心構えは裏を返すと、質が問われる時(質の内容とは)、おかきさげに書かれていることを実行できる人!
質の基準がおかきさげに書かれている‼️
質が問われているからこそ、その質の基準をどこに求めるのか。
おかきさげに求めるべきである。
以上、よふぼくの定義について。
次回、教理勉強内容予告!
予習、ヒサマツブログを読むことww
おわり
振武館道場|負けから得られること|お釈迦祭り柔道大会振り返り
こんにちは、くっきーです。
10連休が始まってすぐに少年柔道の大会が志布志市で開催されました。
振武館道場の指導に携わるようになって三年目、ようやく高学年5人のメンバーで団体戦を組んで試合に出場することができました。
柔道は個人競技なので試合は自己完結します。しかし団体戦となると様相が一変します。
1つの勝ち、1つの負け、1つの引き分け、さらには1つのポイント、1つの反則で勝敗の流れがからっと変わってしまうのです。試合時間ラスト10秒のあのヒリヒリとしたせめぎ合いが団体戦での醍醐味で僕は大好きです。
団体戦ならではの緊張感や連帯感を体感してもらえたら、柔道を知らない方やあまり興味がない方にもスポーツエンターテイメントとして浸透していくのではないかと勝手に思っています。
試合が終わった後、父兄から言われた一言
予選2試合して二戦二敗、5.6年生で編成するチームに5年生だけで挑んだ結果です。
またこの試合は毎年ゴールデンウィークの初めに開催されることもあって鹿児島県内はもとより宮崎、熊本、大分、佐賀からの強豪道場の参加もあり、実際予選2試合とも県外の宮崎、大分のチームとの対戦でした。強い相手でした。
「なかなか勝てないですね。」
ある父兄から試合後に言われました。
親御さんからすれば、目の前の試合で自分の子どもが勝利し機嫌よく家路について、家族でお祝いのご馳走を食べることに越したことはありません。それはそれで喜ばしいことです。
でも負けたからこそ得られることが多いのです。自分の苦手なこと、自分の弱点、自分に足りないこと、それらは負けることでしか得られることができません。中には勝ちからも得られることがありますが、11.12歳の頭でそのようなことを考えられることはほぼ不可能です。極めたアスリートでは話は別でしょうが。
それを次の稽古に生かしていくのが我々指導者の役割です。だから負けから得られることを大切にしています。
お釈迦祭り柔道大会(振り返り)
1試合目 三重柔道(大分)
先鋒、瀬戸口 △横四方固め◯
次鋒、今村 △合わせ技(足払い、横四方固)◯
中堅、梶原 引き分け
副将、久保田 引き分け
大将、坂井 ◯合わせ技(朽木倒し 上四方固)
1対2 敗戦
2試合目 生目道場(宮崎)
先鋒、瀬戸口 △背負投◯
次鋒、今村 △合わせ技(背負投、袈裟固め)◯
中堅、梶原 △内股◯
副将、久保田△合わせ技(内股、袈裟固)◯
大将、坂井 引き分け
0対4 敗戦
2戦2敗 予選敗退
試合後、志布志の名店「マルチョンラーメン」へ馳せhttp://www.maruchonramen.co.jp/?mode=pc参じてましたw
気持ちの切り替えは見習うべきところだわw
天理教的生き方のススメ|おかきさげ(概要)|オンライン第1回教理勉強会
こんにちは、くっきーです。
コムヨシサロンの4月からの新企画として、
オンライン教理勉強会がスタートしました。
講師は「あれもこれも」ブログでお馴染みの
ヒサマツ氏です!
あれもこれも | ダメダメようぼくが天理教の教えを解説したりするキワモノなブログ( `・ω・´)ノ
「おかきさげ」
天理教信仰者として生きていくためのポイント集
ヒサマツ氏は自身のブログでもかなりの頻度で「おかきさげ」を取り上げています。
ぼくの推しメンはおかきさげです。
とヒサマツ氏は言います。
これは純粋におかきさげが好きだ!ということもあるでしょうが、天理教の教理としてとても重要であるとの考えの表れではないでしょうか。
なぜ重要なのか?
おかきさげは、ポイント集、要点集であり世の中を天理教信仰者として生きていくためのルールが書かれているからです。
世界はこのようなルールなので、天理教信仰者はこの様に生きなさいよ的な。
そもそも「おかきさげ」とは?
ヒサマツ氏は、天理教校本科研究課程を修了されています。
天理教校本科研究課程とは天理教の頭腦の中枢的役割を果たし、2年間の課程の中で天理教の教理や天理教の文献をひたすら探求し続けるところです。
その天理教本科研究課程でおかきさげの魅力、重要性に気づいたそうです。
おかきさげとは、おさづけを頂いたのち「仮席」(かりせき)において渡される書き物を指してもちいる。
(天理教辞典)
天理教の三原典の1つであるおさしづ(明治20年〜40年)御神言の中の一部で、明治20年から明治23年7月までのおさしづの中でおさづけを渡される時に下されたものでおさづけさしずと呼ばれるものをまとめられたものです。
(おさづけさしずは191件あるそうです。)
おかきさげの作成された明治23年7月以前でも、おさづけを授けられるとき、いちいちその人をみてお言葉があった。これを書き取って渡されていた。
このお言葉は、おさづけを頂く人によって異るものであったが、この23年頃のお言葉(おさしづ)をみると、殆ど現在のお書下げと同じ言葉である。
すなわち、人によって異るのではなく、誰にでも同じ言葉を与えられている。これを書き取って、仮席において渡す「おかきさげ」とされたのである。
(天理教辞典)
明治23年7月13日〜16,17日までに集中して下され成立に至るとのこと。
このように、おかきさげとは人間が都合よく解釈した言葉ではなく、練りに練って下された御神言であるのです。
天理教的生き方
「おかきさげ」に書いている内容こそが天理教の信仰の軸となる考え方であり、天理教の方向性をデザインする軸であり、あらゆる判断軸のゴールになると思っています。
あれもこれもブログ
「ぼくは『おかきさげ』こそが天理教の判断軸だと思う」より
おかきさげは、心を澄ます方法であり日々の生活の中で実践することを具体的に教えて下されています。
しかしこれは信じた後でなければ、いくら素晴らしい言葉でも受け取ることができません。
だからあえて天理教的生き方のススメとなっているのです。
ようぼく(あえて書きますが)としての心構えとされてきたおかきさげですが、今一度探求すべき課題であるとこの教理勉強会で認識させられました。
内容は次回、来月からのお楽しみということで!
おわり
少年柔道指導記録 2019.4.11|振武館鹿児島道場
4月11日(木)稽古内容
指導者 久木田
生徒 T
M
K
A
T
H
- 準備体操
- 稽古予備運動
- 打ち込み 10本×10セット
- 三角返し練習
- 寝技 3分×4本
- 体捌きをして技を受ける練習
- 乱取り 2分×4本
⚫️三角返しからの抑え込みの練習。
先月から繰り返し練習をしていたため輝が拳心に教えてくれていた。翔陽は初めてだったようだ。今年いっぱい繰り返し練習していきたい。
⚫️体捌きをして技を受ける練習。
相手が技を掛けるタイミングに合わせて相手の引き手と反対側の足を一歩踏み込み下腹を出す。同時に相手の引き手を切るべく肘を真後ろに力強く引き下げる練習。相手の技を見極め体の捌き方かわし方を身につける。
試合で小さい相手に背負投げで掛け逃げ風に負けてしまうことが増えてきたので、その対策も兼ねている。
⚫️T ほとんど休みなく稽古に来ているので、三角からの返し抑え込みもほぼ覚えてきた。今日は拳心に三角返しの分からないところを教えてくれていた。
⚫️M 女子が1人だけなので(美晴もいるが)からかわれることがあって、そのフォローをどうしたらいいのか考えあぐねている。
⚫️K 一通りのことは指導したので、これからは細かな足の動きや手の使い方、力の使い方を指導していきたいと思う。
⚫️A 体の成長と心の成長を待つ時期なのかもしれない。まだまだ幼い部分が多いので見守っていきたい。
⚫️T 頭を下げがちなので、しっかり前を相手を見てしっかり組む。
⚫️H 三角からの返し方が初めてだったので戸惑った様子だった。
振武館道場|柔道が強くなるたった1つのこと|第11回嶋田旗少年柔道大会振り返り
こんにちは、くっきーです。
少年柔道の振武館道場の指導者をはじめて3年めを迎えました。
僕自身も同級生より少し体が大きいと誘われて、小学校4年生から柔道を始めました。
それから大学終わるまで約12年間競技者として柔道に取り組んできました。
柔道に取り組んだ間、特筆すべき成績も実績も残してはいませんが、弱い競技者であった僕でも柔道を通してお世話になった恩師、共に切磋琢磨した同級生、先輩、後輩、対戦相手等の仲間、柔道を通して沢山のものを得ることができました。
自分自身が柔道を通して得たものを、少しでも子どもたちに伝えることが恩返しになるとの思いから、微力ながら少年柔道に携わっています。
柔道が強くなるたった1つのこと
柔道が強くなるには「柔道を辞めない」ということです。
小学生の頃の後輩にめちゃくちゃ運動神経の良いヤツがいましたが、中学では柔道部には入りませんでした。
中学のとき柔道センス抜群の先輩がいましたが、高校では途中で柔道を辞めてしまいました。
- 小学生の頃は4回戦ボーイ
- 中学では県大会出場レベル
- 高校の時は練習試合27連敗
- 大学時代は公式戦出場記録なし
こんな僕の柔道競技人生ですが、辞めずに続けていた結果、指導者として現在も柔道に携わることができています。
(強いかどうかは…ですがwww)
当たり前と言えば当たり前のことですが、辞めてしまえば強くなりようがありません。
どんなに弱かろうが、運動神経が良くなかろうが、センスがなかろうが継続すことしか強くなる方法はないのです。
第11回嶋田旗少年柔道大会に参加
振武館からは、6年生1名、4年生3名、2年生1名個人戦にエントリーしました。
個人戦の結果および振り返り
⚫️K 1回戦 小外刈りで技有りを取るも、抑え込まれ15秒で解ける。終了間際に背負投げで技有りを取られる。判定で敗退。
技の力もついてきているので、自分から技を仕掛ける積極性を出していってほしい。
⚫️A 昨年の大会で準優勝だったため第一シード。1回戦 積極的に技を仕掛けるも、中盤不用意に後ろに下がった所に大内刈りを合わせられ一本負け。
身長が伸びたため自分より小さな相手に対して背負投げが入りにくくなってきた。違う技の習得が必須に。真後ろに不用意に下がることがあるので左右に回りながら動けるようにしなければならない。
⚫️T 1回戦 支え釣り込み足で一本勝ち。
2回戦 一本勝ち。
3回戦 支え釣り込み足で技有り、そのまま抑え込んで合わせて一本勝ち。
4回戦 体落し一本勝ち。準決勝相手が背負投げを掛けるがそのまま潰れて寝技の攻防。これを繰り返して両者ポイントのないまま試合終了。僅差の判定勝ち。
決勝戦 終始相手の組み際の左一本背負いをくらい続け、技有りを2つ取られて合わせて一本負け。
だいぶ積極的に技を仕掛けることができるようになってきた。寝技の取り組みも強化が必要。あと相手の技を受ける捌く体の動かし方を教えていかなければならない。
⚫️H 昨年の大会で3位だったため第二シード。2回戦 相手の背負投げを受けて潰すの繰り返し。技が出ないため指導1。最後まで自分から技を掛けることなく時間終了。判定負け。
全く積極な姿勢が見られない。自分の技に自信を無くしているのか。技は良いものを持っていので、今は腐らずにコツコツと稽古を積み重ねてほしい。
⚫️D 2回戦 小内刈りで技有りを奪いそのまま袈裟固めで抑え込んで一本勝ち。
3回戦 払腰で一本負け。
公式戦での初勝利となった。おめでとう!
持ち前のスピードと運動神経の良さを生かして稽古に取り組んでほしい。
少年柔道に取り組む思い
僕が子どもたちに柔道の指導を通して伝えたいことは、柔道が少しでも面白い、楽しいと思ってもらいたいということです。
そして何より、柔道を好きになってもらいたのです。
好きであれば長く続けることが出来ると考えています。
僕のような凡人でも、柔道という競技を好きになって続けていったお陰で、
貴重な体験と
天理高校柔道部優勝祝勝会に参加しました。|27年ぶりの高校日本一 - 牛馬の歩み 久木田教和blog
多くの人との出会いに恵まれることができました。
15年ぶりに親友に会ったら、「純粋に生きる」意味を考えることになった - 牛馬の歩み 久木田教和blog
子どもたちには、縁あって始めた柔道に一日でも長く楽しく時には厳しく取り組んでもらい、その中でたくさんのかけがえのない人と出会って欲しいと切に願っております。
それが僕の思いです。
おわり
コムヨシコンサル布教所|2月月次祭(3回目)|コムヨシサロンの真骨頂
こんにちは、くっきーです。
過日、コムヨシコンサル布教所の月次祭にノコノコと参加して参りました!(今月3回目w)
https://gyu-ba.hatenablog.com/entry/2018/10/11/072525
https://gyu-ba.hatenablog.com/entry/2019/02/09/221221
https://gyu-ba.hatenablog.com/entry/2019/02/14/055652
約1時間半の話の中で出た話題は3つでした。
⚫️(公財)国際宗教研究所シンポジウム「支え合う、はぐくむ、宗教の力:格差と孤立を超えて」に参加レポート
⚫️くっきーのマッサージサロンをみんなでプロデュース!進捗状況
⚫️天理教的、信仰的格差についてのディスカッション
の3つです。
国際宗教研究会シンポジウム「支え合う、はぐくむ、宗教の力:格差と孤立を超えて」の参加レポート
post-religion(ポスト レリジョン)以降、他宗教間の交流に注視しているサロンメンバーのクラさんが参加しての報告でした。
今年度のシンポジウムでは、改めて地域を拠点に町づくりに思いを凝らし、子育て、路上生活者、外国人等の支援活動に従事する宗教者にスポットを当て、その活動や思いに触れていきます。
というように仏教、キリスト教、天理教など地域に根ざした活動の報告がなされたようです。
天理教麹町大教会長である久保氏は、教会を利用した「子ども食堂」について発表されました。
クラさん自身も教会「子ども食堂」を2年半前から実施しており、完全無料から少額料金制への変更、公的機関へのアプローチ、リサーチによるチラシ配布等々試行錯誤を重ねて、一時期は5名まで落ち込んだ参加者を現在では50余名までに増加させた経緯をあわせて聞くこととなりました。
このイベントは、東日本大震災の被災者救援活動の一環である宗教者による「傾聴」支援から始まったものであり、その中からの宗教間交流へと発展した経緯があります。
宗教者同士の対話では、どうしても教えの解釈についての議論となる傾向が強く、弱者や一般の方へのアプローチの仕方がなおざりになりがちであるため、全くの別の第三者が今後入ることで新たな可能性が見えてくるのではないかとの見解を示したのが参加者クラさんです。
くっきーのマッサージサロンをみんなでプロデュース進捗状況
3月に新規事業を展開する予定のくっきーサロンですが、当の本人の腰が重く遅々として進んでいないのが現状であります。しかも、チラシ製作の責任者であったメンバーが欠席のため、その打ち合わせも出来ませんでした。
そのなかでも、
新規事業において誰を対象にするのか?
誰に来てもらいたいか?
をハッキリさせなければ誰の胸にも刺さらず、結果誰も来てくれないことになりかねないとの指摘は最重要課題であり、この数日間考え続けている案件であります。
今の僕の状態を鑑みて考え出されたのは、
子育てママさん、働く女性を心身ともに健康に!
との理念のもと開始したいということです。
対象を子育て世代のママさんや働く女性にしたマッサージサロンを展開していきます!
天理教的、信仰的格差についてのディスカッション
月次祭も終盤に差し掛かって、僕の脳裏に浮かんできたのは、この日本で7人に1人が貧困状態にある「格差社会」である現状と、天理教の末端教会といわれる教会の状況がたいへん酷似していることを踏まえた上で、それは末端教会子弟の教育状況の悪さが起因しているのではないだろうかとの持論を展開しました。
その話にじっくりと耳を傾けていたサロンの主催者であるコムヨシさんが、ゆっくりと語り出しました。
天理教内では多少名の知れた教会の若い会長さんと接する中で、その方の言い知れぬ魅力というか吸い込まれるような雰囲気に触れ、思わずその醸し出す空気の元を知りたくなり質問したそうです。
「〇〇さんは教会でどのように育てられたんですか?」
特別に教わったり、仕込まれたりすることはなかったとの返事が返ってきたそうです。しかし、しばらくしてから思い出したかのように、
「そういえば、両親はよく話してたし時には議論することもあったなぁ。それを子どもながらに黙って聞いてたかなぁ。」
と話してくれたというのです。
天理教において話し合うこと、議論することはとても重要なことであると教えられています。
僕はそのことは今の今まで、天理教信仰者同士がかんかんがくがく時には熱く自分の悟りをぶつけ合うものだとおもっていました。しかし、そうではなかったのです。
自分と近しい人たちの間で、様々なことを話し合う中で、お互いの言葉に出来なかった言葉までを引き出し合う対話ができる関係を作り出すことの大切さ
が何よりも重大であると感じてハッとしました。
コムヨシコンサル布教所の真骨頂
今回の話し合の中で生まれたものは、
- 宗教間の交流➕全くの別の第三者
- 僕のマッサージサロンの対象者は、子育てママさん、働く女性
- 信仰的格差の原因は、近しい間柄において言葉を引き出し合う対話の無い環境
コムヨシサロン内での議論を活発に重ねて、女性目線の意見をも取り入れていくことで深みが増すことを期待します。
3月からは月次祭は、月一回だそうですw
おわり