「かしもの・かりもの」の説かれ方の変遷|第3回コムヨシ布教所オンライン勉強会ふりかえり
こんにちは、くっきーです。
過日、第3回コムヨシ布教所オンライン勉強会が開催されました。
ヒサマツ先生による講義をふりかえって勉強します。
「かしもの・かりもの」の説かれ方の変遷
天理教校論叢第36号(天理教校の論文だそうです)村上論文をベースに紐解いていきます。
※ちなみにこの論文は、道友社で誰でも購入出来るそうです!(初耳)
天理教教典の公布がターニングポイント
天理教教典のスタートによって説かれ方のニュアンスが変わっていったそうです。
天理教の歴史的背景として
昭和13年 革新の時代
(思うように教理を説けない)
昭和20年 復元
(終戦に伴い、革新以前の教理を復元)
昭和24年 天理教教典公布
(10月26日)
天理教校論叢36号(村上論文)では、
- 昭和20年から29年の「みちのとも」に掲載された「かしもの・かりもの」の全記事を検証
- それらの記事を比較、検証することで「かしもの・かりもの」の説かれ方の変化を研究
された内容の論文です。
革新以前の説かれ方
- かしもの・かりもの
- 八つのほこり
- 身の内の御守護(十柱の神さま)
これらが一つセットで説かれていました。
教典公布以後の説かれ方
教典
第4章 天理王命(このなかで身の内の御守護が
記載されている。
第7章 かしもの・かりもの(このなかで八つの
ほこりが記載されている。
章立てて綺麗にまとめられているように見える。
そのため、かしもの・かりもの単体で語られることが多くなっていきました。
では天理教教典は悪モノなのか?
みちのとも以外でのお話もほとんどがセットでのお話となっており、不可分な説かれ方をしていたが、
教典により章立てが変わったことで、かしもの・かりものが単体で説かれるようになっていきました。
しかし、教典第4章内容は、「かしもの・かりものという話の一端とも申せる」と言われているが、その意味について、
(教典編纂責任者)山澤為次氏は、次のように述べられている。
「又、言葉の使いわけも飲み食いも、みな親神様からかしていただいておるのだとしみじみと有難さを身に感じます時に、成程、昔の先生方の仰有つた親神様からのかりものであるという言葉使いの内に、敬虔なる心持が現れておるというように、真柱様から色々と御意見を賜りまして、私はしみじみ感じました。
そういう意味において、ここの、『人間身の内…の守護の理』とあるところは、実を申しますと、『この神様のかりもの』というように書かれてあったのでありますけれども、ここで余りにかりものということを詳しく説きますと、あとの第7章と重複する嫌いもあり、ややこしくもなります所から、ここでは御覧のような書振になっております。
そういう心持でお読みいただきますれば、この文章の成立がおわかり頂けると思うのであります。」
天理教校論叢第36号より抜粋
教典の第4章と第7章は、分けたんだけれども、何で分けたかと言ったら、一言でいったらややこしくなるから分けたんだよ。
でも本当は、「身の内」の話とか「十柱の神さま」の話というのは、「かしもの・かりもの」とセットで語られるべき内容なので、その分注意して下さいね、
という内容でした。
まとめ
ヒサマツ氏は話一条という観点から、
お話をして人をたすけることに繋がっていくことが理想であり、究極であると結論づけて、
かしもの・かりものがどの様な説かれ方の変遷を辿ったのかを知ることで、今我々が身に付けるべきものが何であるか示したのが、今回の勉強会であったのではないかとふりかえりました。
終わり