鹿児島から明治維新150年を見たら天理教の未来が見えた
こんにちは、くっきーです。
巷ではNHKの大河ドラマ「西郷どん」の放送、明治維新150年も相まって
”鹿児島ブーム”
のようそうを呈しています。
しかし、地元鹿児島に居るとあまりその恩恵を受ける訳ではないので、渋滞めんどくせーぐらいにしか感じませんw
しかし、過日客人を観光案内した際
あれっ鹿児島すっげーな!
て改めて思い至り、これって天理教のいやはや日本の未来の可能性を見ました。
キーワードは、”郷中教育”と”薩摩スチューデント”でどちらも教育に関係しています。
郷中教育とは?
薩摩藩独特の青少年教育です。学問、武芸や体を鍛える「山坂達者」など武士としての心構えや体を日々鍛えました。
大きな特徴は、地域ごとに6〜7歳の子供から24〜25歳の青年まで、幅広い年齢の青少年が属していたことです。
「教えることは学ぶことなり」との考えから、小稚児(こちご)、長稚児(おせちご)
二才(にせ)と年齢別の3グループが、それぞれの下の世代を教え導くことで、自らが学びを深めました。「負けるな」「弱いものをいじめるな」「うそを言うな」。
これが郷中教育の基本となる教えでした。
これは日本の教育が抱える根本問題の”教員不足”を画期的に解決する教育です。
さらに学力を教わる力を学ぶ力を飛躍的に伸ばす教育です。
じんぺーさんどうでしょうか?
僕は大学中退後、天理高校の男子寮の生活指導員、いわゆる北寮幹事を三年間していました。
北寮幹事の理念は、
「育てば育つ」
というもので高校生を年の若い青年に指導させるのです。僕は23歳から26歳までの三年間を過ごしました。
この制度は、中山善衛三代真柱様が青年会長時代に初めて手掛けられた人材育成の事業で、現在も続いており、郷中教育の「教えることは学ぶことなり」に非常に近い理念だと感じます。
もう一つは、
薩摩スチューデントです。
鹿児島中央駅前の若き薩摩の群像
薩摩スチューデントとは?
薩摩藩が鎖国時代にいち早く海外に目を向け、英国留学生を派遣した若者のことで、13歳から33歳までの青年を国家の禁を破って留学させました。現在の金額で1人2,700万円の費用を薩摩藩は投じて18名の若者を先の未来を見据えて派遣しました。彼らの志はとても高く、腰に携えた刀を捨て髷を切り、知識を武器にイギリス人と対等に渡り合いました。薩摩魂を持ち懸命に知識を吸収する彼ら留学生の姿を見ていつしか現地の人々は敬意を表して「薩摩スチューデント」と呼ぶようになりました。
この薩摩スチューデントのなかには、数年前にディーン藤岡が演じた五代友厚も含まれています。また初代文部大臣森有礼、外交官鮫島尚信、葡萄王長澤鼎、初代開成学校長(東京大学の前身)畠山義成などがいました。
天理の教えを胸に未開の地へ新たな学びを求める若者の背中を押す。
ひいては日本人の誇りを胸に海外へ羽ばたく若者を支援する教育が、今必要ではないか。
と鹿児島、薩摩から考えました。
おわり