今日は本当にいい日だね|天理教分教会長の死|出直し
「今日は本当にいい日だね。」
葬儀も半ば、孫娘の弔辞はそう始まった。
その言葉を聞いただけで故人と孫の関係がいかに良いものだったのかが伝わってくる。
年の瀬も迫る12月28日午前5時20分81歳の生涯を閉じた。
それはあたかも、季節を終えた草花が色を失い枯れ果てていくかのように見えた。それはとても自然なことで、しかし自然なことがどれほど大切であるかを体現しているかのように思えた。
不自然に刈り取られ、不自然にむしり取られ、不自然に踏みにじられることもままあるなかで、ごくごく自然な流れはかえって心地よささえ感じるほどであった。
天然自然とはこういうことなのかもしれない。
「人の一生は、その人の死に方に現れる。」
と僕は感じている。
人の生き様が死に様となって残された人間に提示される。
死は終わりであって始まりでもある。
故人にとっては終わりであるが、残された者、受け継いでいく者にとっては始まりであるし、新たなる歩みを進める時である。
だから出直しというのかもしれない。
残された者、受け継いでいく者が故人の心を受け止め、あらためて出直して一歩を踏み出すことなのだと。
人の一生を振り返ったとき、平坦な道であってもそれはそれで味わい深いものであると思う。
しかし平坦な道だけというものはあるはずもなく、山や谷、打ちひしがれてどうしようもないこともたくさん味わうことになる。そのような困難も、人生を彩る大切なことの一つに変えることがでる。
だから、その時その時一瞬一瞬を喜びに変える努力を積み重ねることを怠ってはいけない。
「今日は本当にいい日だね。」
と言い続けることが出来る毎日を過ごしたい。
今日も本当にいい日だね!
2019年もどうぞよろしくお願いします。
おわり。